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【数学小話】全知全能の神はいるのか、公理について

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数学は証明の文化です。論理を使いこなすことで、直感で分からないことも"分かる"ようになるのです。

さて、証明って何でしょうか。正しいって何でしょうか。

 

全知全能の逆説というものがあります。これを見ながら、証明とは何か、正しいとは何か、ということについて考えていきます。

 

 

 

全知全能の逆説

もし全知全能の存在Aがいたと仮定します。
Aはなんでもできるので、「誰にも持ち上げることのできない石」を作ることができます。
Aは何でもできるので、この石を持ち上げることができます。…①
また、この石は誰にも持ち上げることができないので、Aはこの石を持ち上げることができません。…②

①と②は矛盾します。矛盾が生じたのは、全知全能が存在すると仮定したからです。

よって全知全能は存在しません。

 

これが全知全能の逆説です。初めて聞くと、なんだか騙されたような気分になります。

さて、屁理屈でちょっと反論を与えます。

 

 

屁理屈による反論

Aが全知全能の存在であれば、本来同時に起こりえないことを同時に起こすことができます。だってなんでもできるから。

誰にも持ち上げることのできない石を、「持ち上げずに持ち上げること」ができます。だってなんでもできるから。

もしくは、「石を持ち上げずに、石を持ち上げたという結果を得ること」ができます。だってなんでもできるから。

 

ずるいですかね。

さらに屁理屈をこねれば、

 

全知全能ならこのような矛盾した事態を、我々には到底思いつかない超人的な方法で解決することができるはずだ、と言えます。だってなんでもできるから。

 

さあ、全知全能って何でしょうか。神って何でしょうか。できるって何でしょうか。

 

 

 

定理は公理を要求する

中学校の数学で登場する定理ってなんでしょうか。それは、

公理から導かれた命題

のことです。

公理というのは、全ての議論の前提条件として、「これは正しいと認めよう」とした最低限の命題のことです。
そして、全ての命題は公理と、すでに示された定理によって示されるものです。
数学の証明というのは、
正しいと認めた最低限のこと(公理)と、それらから導かれたことを使ってある命題が正しいことを導くこと
です。こうして導かれた命題を定理と言います。

Aが正しいからBは正しい。Bが正しいからCが正しい。Cが正しいからDが正しい。といったように、正しいことが鎖になってずっとつながるのです。

 

最も昔に著された公理は、B.C.300ごろのユークリッド原論に挙げられたものです。公準とありますが、ここでは公理と考えて差し支えないです。*1

第1公準 : 点と点を直線で結ぶ事ができる
第2公準 : 線分は両側に延長して直線にできる
第3公準 : 1点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる
第4公準 : 全ての直角は等しい(角度である)
第5公準 : 1つの直線が2つの直線に交わり、同じ側の内角の和を2つの直角より小さいならば、この2つの直線は限りなく延長されると、2つの直角より小さい角のある側において交わる。

さて、これを見ると、第5公準だけ少し特殊ですが、他の公準はごくごく当たり前のことを主張しているように見えます。第5公準は平たく言えば「平行でない2直線はいずれ交わる」と言っているので、これも当たり前のことと感じるでしょう。

これほど基本的、根本的すぎることはむしろ証明するのが難しかったりします。基本的に公理というのは、どうやっても示すことができないものです。ただ、他のあらゆることは公理のみから出発して示されたのです。

・三角形の内角の和は180°である
二等辺三角形の底角は等しい

などなど、誰もが知っている図形の定理は全てほんの少しの公理から出発して導かれるのです。


公理というのは、いろいろと面倒な問題が発生するし、何も始まらないから、とりあえずこれは正しいと認めて議論を進めようじゃないか、というスタンスで導入されるものと思ってください。

 

全知全能の逆説を公理で読む

さて、世の中にはいろんな公理がありますが、

背理法の公理
X
を仮定してYYでないが導かれたらXでないが導かれる

があります。これは先ほど述べた、全知全能の逆説の文脈そのままです。

全知全能の存在がいる (X) を仮定します。この存在をAと呼びます。

Aはなんでもできるので、「誰にも持ち上げることのできない石」を作ることができます。
Aは何でもできるので、この石を持ち上げることができます。(Y)

また、この石は誰にも持ち上げることができないので、Aはこの石を持ち上げることができません。(Yでない)

XからYとYでないが導かれたので、全知全能の存在はいない (Xでないが導かれます。

 

これは公理を用いて導かれたことなので、(論理的に)正しいのです。

 

屁理屈による反論の反論

では屁理屈で述べた「Aは本来同時に起こりえないことを同時に起こすことができる」というのはどうでしょうか。実は、こんなものがあります。

排中律
任意の命題Pは、Pであるか、Pでないかのどちらかである
(それ以外の第三の状態や、中間の状態をとらない)

この思考原則に則れば、

ある人「神は石を持ち上げずに持ち上げることができるのさ」
ぼく 「排中律により石を持ち上げることができるか、できないかのどちらかにしかならないので神はそれをすることができない。はい論破」

となります。

 

数学含め科学では、全ての結果は矛盾なく得られるという希望的観測があります。論理的に示されたありとあらゆることがら(数学に限らず、物理や化学で得られた法則なども含む)はどれも矛盾しないのです。

 

「正しい」とは何か

数学において正しいというのは、「正しいと認められたことがらから導かれた」と思うのがよいでしょう。ここで一つ疑問になるのが、
一番最初に正しいと認めたこと(公理)が正しいという保証はどこにあるのか?
ということです。

答えは、

ない。

 

公理は「(議論の出発として)正しいと認めたもの」であって、「正しいこと」ではない。ここがなかなか難しいです。先ほど登場した背理法の公理も、直感的に正しいに決まっているとみんなが思っているだけです。これがなぜ正しいのかを論理的に証明することはできません。しかしこれを正しいものとして、議論を先に進めるのです。

こういわれると、世の中に絶対的に正しいことってないのかもしれませんね。

この手の話は堂々巡りになりやすく、また非常に抽象的な議論になるし、直感に反する結果も多く出てきます。考えすぎて熱を出さないように。

 

 

 

なかなか複雑でした。

数学のこういった「まあこれはいいよね」と流されがちな超根本的なことや細かいことをちまちまと考えるのは、非常に好みが分かれます。
この話が面白いと思ったあなたは純粋数学や哲学に向いているかもしれません。

 

 

では最後に。
「いや、神は何でもできるからこそ、排中律を無視して石を持ち上げずに持ち上げることができるのだ」
と言われたら、あなたはどう反論しますか?

 

 

 

 

 

 

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written by k

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