『高校古典のいろは』〜番外編:細部にこだわれ〜
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今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやつこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。翁言ふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり。」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。美しきこと限りなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。
上記はかの有名な『竹取物語』の冒頭部分です。多くの人にとって最も馴染み深い古文といったらこれでしょう。
さて、あなたはこの文章を現代語訳しなさいと言われたとき、完璧に訳すことが出来るでしょうか?実は、この簡単な文章の中にさえ、いくつかの難しいポイントが含まれているのです。
例えば、最初の一文をどう訳すかであなたの古文力が明らかになってしまいます。
「今となってはもう昔のことだが、竹取のお爺さんと呼ばれる人がいた。」
上記は正確ではない典型的な誤訳です。
正しくは、
「今となってはもう昔のことだが、竹取のお爺さんと呼ばれる人がいたそうだ。」
です。
この違いは「けり」というたった1つの基本的な助動詞を理解しているか否かによって生じてしまいます。
後々の記事でも取り扱うのでここでは簡単な説明に留めますが、「けり」は過去の中でも特に「伝聞の過去」として扱われています。「過去」の助動詞には他にも「き」がありますが、こちらは正確には「直接体験の過去」です。
「なんだ、それだけのことか。」と思った受験生がいたら、今すぐにその考えを改めて下さい。たったそれだけの訳し方の違いで合否は別れます。受験とは小数点以下のごく僅かな点数で合否が決まる恐ろしい戦いなのです。
難関大学を目指すのであれば言うまでもありません。日頃からなんとなくの理解ではなく、「なぜそうなるのか」という「根拠のある理解」を突き詰めることが受験勉強なのです。
『高校古典のいろは』では、このように細部にまでこだわり抜いた濃密な記事を上げていきます。難関大学を目指す受験生含め、高い志を持つ高校生の方は是非目を通していただけると幸いです。
Written by Akky