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【数学小話】悪魔の証明

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悪魔の証明という言葉を聞いたことがありますか。少し前、安倍首相が参議院決算委員会でこの言葉を口にしました。 *1

脚注に示した記事によると、2017年3月、今は懐かしい(?)森友問題で、籠池氏が「昭恵夫人から寄付金を受け取った」と発言し、それを否定した首相が、していないことの根拠を求められ、「証明しようがない。悪魔の証明だ。」と言ったそうです。していないから根拠も何もないじゃないか、ということでしょう。言われてみれば確かにそうだな、と皆さんも思うのではないでしょうか。ある日突然「お前、昨日うちに忍び込んだだろ!」と言われ、「いや、してないですよ」と返したら「してないという証拠を出せ!」と言われたら困りますよね。「そもそも忍び込んだという証拠を見せろや」って言いたくなるものでしょう。

 

このブログでは、この森友問題に関する追求や、安倍首相を擁護、または批判したり、政治的な主張をするつもりは一切ありません。今回は、悪魔の証明について、ひいては、「してない、存在しない」ことを証明することの難しさについて紹介して、論理の奥深さを感じてもらえたらなと思います。

 

 


 

 

悪魔の証明とは

 「悪魔の証明」のwikipediaを見ると、この言葉はもともと中世ヨーロッパの法律の解釈、裁判の立証に関するものだそうです。

Aさんはある絵画を持っています。Bさんがある日、「Aの持っている絵画は実は私のものだ!」と主張し、裁判で争うことになりました。

 

~裁判当日~

B「あの絵画は私のものだ!Aのものではない!」

裁判官「Aさん、あなたはその絵画が正当な方法で手に入れたものであることを証明できますか?」

A「この絵画はCさんからお金を払って買いました。」

裁判官「では、そのCさんがその絵画を正当な方法で手に入れていて、所有権がCさんにあったことを証明できますか?」

A「たしかCさんはこの絵画をDさんから譲ってもらったと言っていたような...」

裁判官「ではそのDさんは絵画を正当な方法で入手したことを証明できますか?」

(以下、繰り返し)

 

こうして、Aさんは前の持ち主、その前の持ち主、と全てをさかのぼって証明することを要求されましたが、当然できるわけがありません。Aさんは裁判で負けました。

当時の裁判がどのように進められていたかは知りませんし、実際にこのような裁判があったか分かりませんが、要するに、「Aさんは前の持ち主、その前の持ち主、と永遠にたどるように言われ、それが著しく困難だからほぼ確実に裁判に負ける」という理屈があり、この理屈を悪魔の証明と読んでいたそうです。もしこの理屈が通用するなら、とりあえずかたっぱしから「それは私のものだ!」と主張しておけば大半の者は手に入ることになりそうですから、どうにかこの理屈は避けた方がよいのはあきらかです。当時の人々がどのようにこの問題を解決したのか気になります。ちょっと調べたのですが法律に関する知識が全然ないのでよくわかりませんでした。

 

現代における悪魔の証明

冒頭で紹介した安倍首相の発言のように、今では悪魔の証明「してないことを証明するのは不可能である」というような意味で使われています。「していない根拠を出せ」と言われても、「いやいやしてないから証拠も何もないだろ」となるわけです。そして、この「ないことを証明するのはあることを証明するよりはるかに困難だ」という悪魔の証明について、「数学でも同じことがいえるな」と、日々思うのです。数学の証明においても、「ないこと」を証明する問題は比較的難しいものが多いように感じます。いくつかそれらの例を示しつつ、「ないこと」の証明の難しさについて見てみましょう。

 

 

 

さまざまな証明

証明① 「アフリカにはゾウがいる」

これを証明しろ、と言われたら、何をすればよいか。実際にアフリカに行き、そこでゾウを見つけて写真を撮る。その写真を提出する。これでよいでしょう。

「いる」ことを証明するには、実際にその存在を指摘するという比較的容易な方法がとれます。

 

証明②「5158509484643071と5158509484644037の間に素数は存在しない」

ないことを証明するには、あることを証明するのと違い、一つを見せて終わり、というようにはいきません。相手を納得させるのに、今回は間にある自然数を全て素因数分解できることを確かめるという手法をとることができます。手作業では到底できないのでコンピュータに計算させましょう。

要するに、「この中に〇〇がない」を証明しようとすれば、全てを一つ一つ調べる作業がしばしば必要になります。既にかなり証明が困難と言えます。

 

ちなみに、自然数をずーと見ていったときに、たまに素数が全く出てこないことがあり、素数砂漠と呼ばれています。今回登場した5158509484643071と5158509484644037の間は実に965個も連続して素数が登場しません。面白いですね。 *2

 

 証明③「a2+b2=c2を満たす自然数a,b,cの組においてa,bが共に奇数であるものは存在しない」

調べなければいけない対象が無限に存在したらどうしますか?先ほどのように「全パターンを調べ、全部ともに奇数になるものがない」とするのはできません。なぜなら、a2+b2=c2を満たす自然数a,b,cの組は無限にあるからです。無限にあるから、全てを書き出すことができないのです。そういう意味でこの証明はかなり難しいといえるでしょう。

ちなみに、これは以下のように証明されます。

「a2+b2=c2を満たす自然数a,b,cの組においてa,bが共に奇数であるものは存在しない」

背理法で示す。a,bがともに奇数と仮定する。このときm,nを整数として、a=2m+1,b=2n+1とできる。すると、

a2+b= (2m+1)2+(2n+1)= 4m2+4m+4n2+4n+2 = 2(2m2+2m+2n2+2n+1)

となるので、a2+bは2×(奇数)であるが、2×(奇数)の形で表される平方数は存在しないので矛盾。よって示された。

無限(しばしば有限でも)にある対象の中に指定のものがないことを証明するには、「一つ一つ調べる方法」が取れないので、この証明のようにちょっと違ったアプローチが必要になるのです。とりわけ、今回のように背理法が使われることが多いです。 背理法、なんとも便利ですね。こうして、数学には数多く「存在しない」問題が生じて、そのたびに、数学者は実に巧妙に証明を与えてきたのです。

 

 

証明(?)

1=2である。なぜなら、1≠2でないという理由は存在しないからである。

非常に有名な証明(?)です。勿論こんなものは通りませんが。

アンサイクロペディア「1=2」

↑このページは非常にユーモアに富んでいて読みごたえがあります。

 

 

一筆書き可能かどうか

さて、数学における「できない」について有名な話といえば、ケーニヒスベルクの橋というものがあります。

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ケーニヒスベルクという町に大きな川が流れており、7つの橋が架かっていました。ここで、「ある場所からスタートして全ての橋を1度だけ通り、元の場所に戻ってくることはできるのか?」という疑問が生じました。上の画像を見つつ、一筆書きできるかどうか試してみてください。何回か挑戦すると、「そんなことはできないのではないか」と思えてくるでしょう。実際、それはできないことが分かっています。この問題について、18世紀の数学者オイラーが今ではグラフ理論と呼ばれている手法で、一筆書きできないということを証明しています。

一筆書きできる形とできない形の判別方法を紹介して今回は終わりにしようと思います。

まず、4つの陸地を4つの点に、橋を点と点を結ぶ線とみなして、次のようにします。

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全ての点において、その点から出ている線の本数を数えます。本数が奇数である点が0個か2個なら一筆書き可能、それ例外は不可能です。

 奇数の点が2個ならば、その片方の点から出発してもう片方の点がゴールになるルートが存在します。奇数の点が0個ならどこから始めても一筆書きできるルートが存在します。

 

2つほど例を示しておきます。 

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