【高校受験】kの日比谷高校受験の思い出
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高校受験が終わりました。合格発表を明日に控え、不安になる人がおおいかと思います。今回は私、kの日比谷高校受験の思い出を話します。
2018/11/20追記 いろいろ追加
中学の成績
中学受験はしていません。中学校は地元の公立中学校です。
中3受験当時の通知表は、
国語4数学5英語5理科5社会4音楽5美術5保体4技家5
5教科合計23、副教科合計19、9教科合計42でした。
中1、中2もだいたい同じくらいの成績でした。
私の中学校で中3の最後の通知表でいわゆる「オール5」は一人しかいませんでした。
なので9教科合計42はおそらく学年順位10位に入るか入らないかくらいだと思います。
また、定期テストの学年順位は、3~10位の間にいました。国語と社会は定期テストでなかなか90点台をとれませんでした。また、副教科はどれも好きだったので、中1の頃から特に何かを意識するわけでもなく、自然といい成績が取れました。特に美術の絵を描く授業は特に集中していました。
今思い返してみると、中1,2で習った内容の多くを中3になっても忘れず覚えていたのは、非常に受験勉強にとってよいことだったと思います。
受験勉強の始まり
受験勉強は中3に上がる直前に始めました。それまでは模試を受けたことすらありませんでした。中2の冬に塾の体験授業を受け、春期講習から塾に通い始めました。中3最初の模試では志望校について何も考えておらず、模試の志望校は知っている高校の名前をひたすら書きました。開成、早慶、日比谷、西などを書きました。すると、B以上の判定は一つもありませんでした。
夏の模試で日比谷A判定をとりました。両親から「できれば安い公立にして」と言われていたので、なんとなく日比谷を第一志望にしました。最初は、「偏差値からしていけそうな高校の中で一番高いところ」という理由で、一番高い都立がいけそうだから目指そう、ということで日比谷を目指しました。それがなんかかっこいいと思っていましたので。この頃は国立は存在自体知らなかった気がします。親に進められるがままに難関都立高校受験をうたっている塾に入ったからだと思います。(河〇塾Wi○gsという名前だったと思います。)
塾でよく勉強しました。塾では一番上のクラスで総合成績はクラス13人中1~3位をさまよっていました。当時の1位から3位にいた3人は私も含めて全員日比谷に合格しました。難関都立高校を目指す塾で1~3位だっただけであり、ほかのもっと頭の良い集団が集まる塾ではそうもいかなかったと思います。
中3の模試での日比谷高校の判定の推移は以下の通りです。
6月 C
8月 A
9月 S
11月 S
12月 S
1月 S
「このままいけば日比谷には入れるだろうな」と思いつつ受験を迎えました。受験本番まで不安になることが多々ありましたが、「でも日比谷S判定だから大丈夫」となんども自分に言い聞かせていました。都立の推薦入試はしていません。
5教科の実力
詳しい5教科の実力は以下の通りです。
- 国語:漢字は問題ないが、過去問演習で読解の解き方に確実なものがない。
- 数学:大得意。模試では偏差値80をたたき出すことも。
- 英語:数学ほどではないが得意。学校の定期テストで何回か学年1位になれる程度。
- 理科:得意。都立の過去問は基本的に100点か1ミス。
- 社会:歴史を勉強することにあまり楽しさを見出せず、暗記をサボりがち。社会はよくて1ミス。80点は安定してとれる。
私立の併願
都立受験の前に私立受験がありました。私は、どうせ日比谷に合格するからと、受験の雰囲気に慣れるために、日比谷より偏差値が低い高校を2つのみ受験しました。城北と国学院久我山を受験しました。どちらも合格しましたが、入学続きもなにもしませんでした。どちらも数学が簡単すぎて時間が20分余った記憶があります。英語は私立特有の難しい単語が多く、やや苦戦した記憶があります。
また、国立、早慶、開成などを受験することは特に考えませんでした。日比谷高校の学校説明会や文化祭に行くにつれて、「日比谷しかない」と考えるようになっていたからです。また、通っていた塾が「難関都立合格のための塾」を売りにしていて、早慶開成などの難関私立や国立の合格実績を気にしなかったというのもあり、日比谷より難しい高校は受験しませんでした。
(受験が終わってから母親に「開成や筑駒を記念受験してもよかったのに」と言われましたが、当時、私には記念受験という概念が全くありませんでした。)
受験直前期~本番
さて、都立受験1週間前から
- 規則正しい生活
- 新しく日比谷の過去問を解かない(自分が解けないほど難しい問題をやらない)
この2つを心がけました。
受験当日は、同じ中学にいた、同じく日比谷を受験する友達と駅で待ちあわせて一緒に向かいました。この人を以後Aと呼びます。
教室に入ると、Aと私が隣の席でした。これはおそらく一緒に連続で出願したからでしょう。これは今思い返すと精神安定の面で非常によかったと思います。一人で孤独に受験するよりはるかにリラックスできました。
入試が始まるまえに、Aとお互い「終わった問題についてあーだこーだいうのは全部終わってからにしよう」と誓いました。
自分の受験番号を確認し、席を探すと、後ろから2列目でした。荷物を置いてからトイレに行き、そのあと塾でもらった重要事項のまとめの冊子を見返したり、最後の確認をしました。試験開始5分前くらいに周りを見渡したところ、ちらほら欠席が確認できました。後から考えてみれば、それは日比谷より高い志望の高校の合格が確定していて来る必要のない人だったのでしょう。トイレの帰りに前の扉から入って、こっそり席に座っている人の顔色を窺うと、2人くらい明らかに緊張しすぎて挙動不審になっている人を見つけてしまい、見ていると伝染して自分も不必要に緊張してしまいそうに思えたので見なかったことにしました。
問題が配られたあと、試験開始まで微妙に待機時間があります。(といっても、数分にも満たない短さですが。)この間に、隣のAとこっそりハンドサイン的ななにかで笑わせあったりした記憶があります。これ、不正行為と判定されても文句はいえませんね。
試験のあと、結果について何も話すことなくAと電車でのらりくらりと帰りました。試験ができたできないということより、長く苦しい勉強から解放されることにたいする喜びの方が大きかったです。
入試本番の感触は以下の通りです。
- 国語:漢字はすべて答えられた。読解はずっと安定していないので、どうせあまりできていないだろうと考えた。
- 数学:ここで点数を稼ぐつもりだったが、あまり解けず。本番中も解けない焦りから冷や汗をかいた記憶がある。
- 英語:数学の失敗をここで巻き返そうと、慎重に解いた。英作文は無難な内容で短時間で仕上げられたので、ほかの問題をしっかり見直せた。
- 社会、理科:模擬や過去問演習からして時間が余ることはわかっていたので、いつも以上にゆっくり解いた。
理科100点社会85点だったことを覚えています。国数英の点数は忘れました。(これが一番重要なのに...)
入試が終わり、当時通っていた塾の教室に行き、自己採点と点数計算をしたところ、例年のボーダーは超えていることが確認できたので、かなりリラックスして合格発表を迎えられました。
合格発表の日がやってきました。母親が、私に携帯電話を持たせました。(当時私は携帯電話を与えられていませんでした。もちろん中学校の校則でスマホは持てないことになっていますが、ばれなければよいのです。)
無事合格していたので、合格の報告を親と塾にし、そのまま諸々の手続きに進みました。
余談ですが、合格発表の日かどうかは忘れましたが、制服採寸があるのにそれをすっぽかして帰ってしまい、後日わざわざ制服採寸をしに三越だかに行くことになった記憶があります。アホですね。
ちなみに一緒に受験したAは残念ながら落ちてしまいました。しかし本郷高校で巻き返しを図り、見事大学受験は医学部に合格しています。
最後に
この記事を読んでいる日比谷高校受験生の皆さんが合格していることを祈っています。
この記事を読んでいる日比谷高校を受験しようと考える皆さんはぜひ日比谷高校を目指してたくさん勉強してください。
日比谷高校に入学して後悔したという人はいないと断言できます。日比谷高校受験を考えている人は、ぜひ日比谷高校に一度訪れてみてください。いいところですよ。
written by k